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未踏作業日誌――余計なもの作るよ!

未踏の作業日誌的なものを書きましょうということで書くことにしました.余計なことばっかりしています.

ナラティブについて整理してみた

承前

この記事はだいたい1~2年ぐらい前に書いておいて,そのまま塩漬けしてしまったものです.きっかけとなった記事はゲーム技術の研究所 テーマ「Narrative(ナラティブ)」で,言葉があまり正確に使われていない可能性があるなと感じて作成しました.ところが,そのまますっぽかして今に至るので,現在の議論とは異なる部分もあると思うのであしからず.メンタルモデルが知恵で,ナラティブがメンタルモデルを生み出す関数,ナラティブを展開すると何かしらの式があり,引数として謎の変数Xが存在している,という理解で概ね大丈夫なのではないかなと思います.

はじめに

さて,最近なぜかナラティブという単語が入ってくるようになりました*1.ナラティブの資料がシェアされたということもありますが,ナラティブはゲームの文法を作り,より良い体験を与えるためには欠かせない概念だと思います.

ところが,ナラティブという概念が輸入されたのはつい最近で,まだまだまとまっていない印象があります.そこで,ナラティブについて整理するついでに,ナラティブが抱えている現状,将来について考えてみました.

あくまでロラン・バルト吉本隆明をかじっただけのエンジニアのようなものですので,郵便*2だとか肛門*3だとか物騒な研究者から見ると拙い部分がありますのでご容赦ください.

 

ナラティブとは

ナラティブとは,メンタルモデルを生成するための手法を指しています.メンタルモデルとは体験や知識に基づいた知恵のことです.つまり,ナラティブとは,知恵を生み出すための仕組みと書けば簡潔でわかりやすいですね.

ただし,時としてナラティブとメンタルモデルの二つを合わせてナラティブと言うことがあります.僕は一物一名のことを考えると,まとめてナラティブと言うことは誤解を与えてしまう表現だと思っています. 

 

ナラティブがなぜバズワードなのか

バズワード扱いされる一つの理由として,上で挙げたように,ナラティブとメンタルモデルの両方を指していることがあります.両方をまとめてしまうと,手法のことを指しているのか,まとめて呼んでいるのかわからなくなることがあると思います.言葉の定義が足りない,ということです.

ナラティブとメンタルモデルはそれぞれどちらかを内包するような概念ではありません.外積をすると直交している概念だと言えます.ナラティブとメンタルモデルの両方を同時に言い表すための言葉がまず必要なのではないかと考えられます.

また,メンタルモデルがナラティブによって生成される過程を指す言葉も定義が不十分だと思います.あとでもう少し書きますが,ナラティブが関数だとすると,メンタルモデルとは返り値で,メンタルモデルを生成するための過程がコードとも言えます.

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メンタルモデルを生み出す過程までナラティブで括ってしまうと,まとめて表すのと同様に,お互い何についてコミュニケーションをしているのか(例えば,過程について話しているのか,全体論の話をしているのか,それとも本来の手法について話しているのか)わからなくなり,場合によっては誤解を与えることもあるでしょう.

もう一つ,はじめにで引用したスライドでも書いてありますが,ナラティブ=物語論という固定観念が根付きやすいのが現状です.ナラティブは知恵を生み出す仕組みだと考えた時,世の中にたくさん似たような仕組みがありふれているはずです.

例えば,わかりやすい論文の書き方もナラティブの一つだと思いますし,一物一名という概念もナラティブの一つだと思います.しかし,ナラティブの話をする際にあるたったひとつのナラティブ(物語論など)について焦点を当ててしまうと,ナラティブ=物語論と誤解されてしまいます.

 

ナラティブの将来

例えば,言語学では言葉と意味*4という概念があります.机という言葉は,机のような物がなければ存在しえません.意味があって言葉があります.

また,言語学から派生して,記号と意味*5という概念もあります.私達は私達の文化的・社会的・教育的等の背景により,ある記号を見た時に何かを感じます.もちろん,どのように感じるかはその人が持つ知識や体験,社会環境により異なります.

ナラティブという概念はこれらの概念の一歩先を進んでいると思います.なぜなら,今までは意味とは何か,記号とは何かについて議論されていましたが,ナラティブはその仕組みや手法を作り出すための議論ができる分野だと考えています.

例えば,メンタルモデルとは何か,ナラティブとは何かについて研究が進めば,全く新しい物語論を誰でも作れるようになります.ナラティブとは,メンタルモデルを生み出す関数のようなものです.その関数を作るための考え方さえあれば,いくらでも関数を作ることができるようになります.

ナラティブ,メンタルモデルの研究が進めば,ある特定の社会的背景や文化,言語などを持った人に対して,ある特定の体験や知識を効果的に与えるための考え方が見出すことができるようになります.

 

ナラティブの例

ナラティブの例として,恐らく一番わかり易いのは車のCMだと思います.

 例えば,トヨタのCMで「カローラフィールダー ラブ&ジーンズ編」というものがあります.市長(?)に扮するキムタクが主演で,朝にカジュアルな格好に着替えて,カローラでオフのお出かけをする内容です.


木村拓哉 CM トヨタカローラフィールダー 「ラブ&ジーンズ」篇 - YouTube

あまりやり過ぎると長くなってしまうので,手短に分析しますが,このCMのテーマは「いい(できる)男はカジュアルに」ということだと考えられます.

キムタク*6は2001年に放映された「HERO*7」にて,型破りな検事役として松たか子と共演しました.あまりタレントには詳しくありませんが,一応「HERO」がキムタクで初の人気作のようです.僕も当時は少しだけ見ていた記憶があります.かっこいい役だと思いました.

2001年といえば,ゼロ年代初期でもあります.1998年ごろにたれぱんだ*8ブームが訪れ,翌年にはピークとなり,2000年頃には終焉を迎えます.しかし,たれぱんだが当たったことにより,ゼロ年代初期は空前絶後のゆるキャラブームへと突入します.例えば,ぱにぽに*9ARIA*10の連載開始はそれぞれ2000年と2001年です.カードキャプターさくらは1999年でした.この頃はなにかゆるいキャラを出せば売れると思ったのか,ハルヒ後になるまで軒並み色々なマンガやアニメで変なマスコットキャラクターが登場します.

キムタクが「HERO」の中でちょっとゆるい,でもそこが型破りなキャラクターなのは,「カジュアルに,気楽に,ゆるく」という社会全体の流れと意識していたと考えるのが妥当でしょう.現に,「HERO」の平均視聴率は34%と非常に高い数字となっています.それが社会の求めていたイメージと合致しているからこそ,というのもあると思います*11

話を戻しますと,カローラのCMは「カジュアルでゆとりのあるデキる男」というメッセージを視聴者に送っています.面と向かってそんなことを言っている人がいたら少しアレですが,潜在的に自分がそう感じている人は日本国民全体から見たら少なくないと思います.

「ジーンズを履いておしゃれに決める.時間的にゆとりがある俺はビッグだ」と思っている人にとってこの車は好都合です.なにせ,キムタクの乗る車ですから,イメージとピッタリですね.キムタクみたいにかっこよく,そしてラフに決めたい男性がターゲットということです.

このように,CMにマッチした人のメンタルモデルが浮かび上がりました.どのような社会的背景を持っている人に対して,というターゲティングをうまく行えば,その人に対してメッセージを送ることができます.これはメンタルモデルを生み出すための立派な手法と言えるのでナラティブとなります*12(具体論から抽象論へと入ってしまったのでかなりモヤっとしますが).

 

ナラティブの可能性

ナラティブの厄介なところは,手法と知恵のセットは色々なところで見つけられるということです.

例えば,先ほどのカローラの例ではキムタクを分析した後にターゲットはどのような男性が当てはまるのか考察しました.僕はこのような方法によってCMを分析できるという知恵(メンタルモデル)を持っているからこそ,それを手法(ナラティブ)に落としこむことができました.

しかし,これを翻して考えると,僕に知恵を付けるためのナラティブも存在しているということになります.ナラティブとメンタルモデルのペアはまるでリスト構造もしくは鎖のように幾重にも繋がり合っているということになります.

そうすると,当然のことながら,我々の考えたナラティブをメンタルモデルとして,そこから新しいナラティブを考えてみよう,という議論が可能になります.例えば,ナラティブといえば物語論で,物語論をより細分化する方法は物語論に任せるとして,ナラティブはナラティブでより抽象化する方向へ考えることができるわけです.

また,ナラティブとメンタルモデルは直交している概念と書きましたが,ナラティブ同士は逆に限りなく水平になるんじゃないかと考えています.なぜならば,現状のナラティブを俯瞰すると,例えばキャラクター論や物語論ゲームデザイン論などが存在しています.これらは具体論で,どのようにすればコンテンツに記号的な意味を与えられるか,あるいは分析するかの手法です.

これらは互いに同じ上位概念を共有しているため,水平な概念であると考えられます.つまり,既存の手法(ナラティブ)を全く別の分野へ適用することもできなくはないということです.もちろん,うまく適用できないパターンもあるかもしれませんが,そうするとそのようなナラティブは直交していると言うことができます.

これがナラティブの大きな可能性です.これらの直交性をうまく利用すれば,ナラティブがナラティブを生むようになり,爆発的に普及するんじゃないかと思います.

 

ナラティブ研究の方針

ナラティブはかなり高次な概念だと思います.なぜならば,私達が書いて残したもの*13,言葉で話されたもの*14,行動として体験したもの*15,周りがそうしているもの*16,様々なものが知恵として残ります.

これらをひとまとめに語ることのできる概念とは何なのか探すところから始まると思います.

例えば,共同幻想*17や神話作用*18という概念はナラティブという考え方と少し似ている部分があると思います.幸い,日本は哲学や思想に関しては非常に資料が多いです.ただし,勉強の方向付けの出来る人は大学の中にしかいない,ということが現状だと思います.

ナラティブとは何かということを,既存の概念で説明し直すことで,また新しくナラティブとは何か理解を深めることができると思います.もちろん,メンタルモデルも言葉が少なすぎると思うので,等しく既存の概念で説明されるべきだと思います.

理解が深まるようになると,ナラティブやメンタルモデルを俯瞰的な視点で眺めることができるようになります.様々な概念と繋がることができれば,それらの概念を応用して新しい概念を生み出すことが可能になります.

巨人の肩に乗るわけですね.一人だけでずっと考えるのにも限界がありますし,過去に思いつかれてしまった概念かもしれません.なるべく既存の言葉で説明されることで,互いにオリジナルの言葉や概念をたくさん扱うよりも,意思疎通がやりやすくなります.

 

さいごに

なんとなくナラティブとはなんなのか,どのような可能性を持っているのか,今後関わるとすればどのようにすればいいのか書きました.

今のところナラティブは欧米圏で盛んですが,無理に欧米の言葉や概念を追う必要はないと思います.もちろん,有用な概念は積極的に輸入されるべきですし,それを翻訳した人がいなければ今の日本の哲学や思想の分野はほとんど成長し得なかったのは事実ですが,それにしても欧米の言葉を全部輸入してから出ないと議論のスタートラインに立てないのであれば,間違いなくナラティブの研究は一歩二歩,場合によっては大きく差が開いてしまいます.

商業レベルだと最近はローカライズでどうするかの問題もあると思うので,日本だけというわけには行かないためなかなか研究が進みにくいと思いますが,何かしらうまく議論の出来る場所があったり,発表できる場所が多少でもあるといい感じに発展するんじゃないかなと思います.翻訳できる人は少ないですし仕事もあると思うので,そういう人を常に待っている状態はあまり健康的ではないかなと.

今も昔も2chの古いスレとかでずっと議論している人がいたりもするので,そんな感じでうまく動いたりするとナラティブも楽しくなるんじゃないかなと思いました.

 

ちなみに,こんな長文を書いたモチベーションですが,単に興味対象として前々からナラティブが語られているのになんかまとまらないなぁ,という印象があったので,自分なりに解釈し直してみたらどうなるのかやってみたかっただけです.

もし,夏コミ受かってたら未踏とかももちろんですけれども,ナラティブについてもちょっと文章を書いてみたいなぁと思います.