未踏作業日誌――余計なもの作るよ!

未踏の作業日誌的なものを書きましょうということで書くことにしました.余計なことばっかりしています.

今後の活動をどうするか会議

いよいよ博士課程も佳境に差し掛かってきた感じがしてきましたが,論文誌は3本通さないとアカンのですよ.そうじゃないと卒業できないしね.

そういうわけで,論文の投稿戦略とか考えるわけですが,直近だと3月中旬にDICOMOの申し込み締め切りがあって,5月にカメラレディ,7月に発表.DICOMOで推薦論文をお願いしておくと,所属研究会のトランザクションで投稿する権利を得られる.

で,9月に国際会議に投稿しようという話になってて,たぶん締め切りが6月か7月ぐらいで被ってる感じがする.

10月か11月ぐらいにDCCへ投稿して,1月ぐらいにDCONへ2本投稿する形になる.もし,1本でも落ちれば卒業できないから困る.いや,電子情報通信学会のほうがギリギリあるから,これは最後の最後の手段になるだろうなぁとか.

そう考えると,6~8月あたりのスケジュールが過密になっていて,果たして実験と実装ができるのかどうか怪しくなってきた.3本目の研究は10月と1月ベースになるから,ある程度の余裕はあるけれども,2本目の研究と国際会議が被っていて,4~5月中に成果をまとめないと,国際会議のほうが間に合わない可能性が出てくる.

国際会議は正直な所,全く行きたくないのだけれども,英語の卒業試験の代わりという謎の理由によって,行くことになってしまった.僕も英語の論文を呼んでいるのだから,外国人も日本語勉強して論文を読めばいいと思う.

 

博士課程は,スケジュールと筋書きとの戦いで,なんか3本の論文がそれなりに筋の通っている書き方をしないと卒業できない.なんか適当に作って発表しても,3本にまとめた時に筋が通らない.

博士課程が卒業時に得られる能力は,研究する能力ももちろんだけれども,研究成果を3本にまとめるだけのストーリー・ライティングと,それを3本通すだけのスケジュール管理能力だと思う.特に重要なのがストーリー・ライティング.

というのも,石は拾っても宝石は逃すなという精神に則っている論文誌が多いため,石の論文でも救いはあるからだったりする.実際のところ,筋は通ってるけど何のための論文なのかよくわからないのもたまにはある.なんでアイツが通ってるのに自分は通らない,それは論文の中での筋を通していないからである.

有用かしょうもないかは,論文のまえがきと背景を読み飛ばして,手法から入るとすぐにわかる.しょうもない論文は,手順を追っていって何をするための手法なのかさっぱりわからない.分野にもよるかもしれないけど,少なくとも専門分野の範囲ではその手法を使うことで何ができるのか想像することができない.

でも,それが論文誌に掲載されている論文は,どんなにしょうもない手法だったとしても,まえがきから順番に読んでいった時,なんとなくその手法は重要だという気持ちになる.その手法が重要だから,著者らはこの研究をやった.その重要性をしっかりと理解させられるかどうかのところで,研究者として大きな差が出てきてしまうのだろうと思う.

 

研究者と言っても,専門分野に詳しいのは確かだとしても,ほんの少し分野が外れるだけで手法の理解が難しくなる.だから,論文を読んだ時に,その手法の中身についてはよくわからなくても,何のためにこの研究をやったのかが重要になる.その結果,何が得られて,何ができるようになるのか,論文の中で明確化する.

論文のお作法を書き表していくと,結局のところはストーリー・ライティングちゃんとやれない人だと,意味のわからん他の人に通じない論文が出来上がってしまう.査読が通らず論文誌に掲載されない.恐ろしい.

僕はこのあたりをしっかりと教えてくれる指導教員の先生方がいるのでまだマシな状況なのかもしれないけど,他の研究室だとどうなるんだろう.先生が論文を書いているというケースもあるのでこのあたりは闇が深い.闇が深いし,その闇でしか維持できないから直らないのか,それとも見て見ぬふりなのか.

僕は一度社会に出てみて,疲れたら大学に残る.